人生はおもしろい事柄に満ちています。日々の気づきを日記にしたためます。
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12/02
懐かしい場所
ここ十年ほど、市内の同じ区の中で引越しを繰り返しています。今日は休日、かつ天気も良かったので、自分の属したエリアの一部を歩き回ってきました。

・激貧の院生時代に住んでいたアパート
・そのころ通っていた銭湯(残念ながら営業時間外だった)
・いろいろな本を買った古本屋
・古本屋の帰りによく立ち寄った喫茶店
・パンの「耳」をくれた親切なパン屋
・待ち合わせによく使った公園

などなど。
あえて写真は一枚も撮りませんでした。

いずれも、おしゃれでも観光名所でもなく、私個人にとってだけ特別な意味のある場所ですが、今までに関わってきた多くの人々を思い起こします。
自分は自分だけの力で生きてきたのではなく、いろいろな人の温かい心遣いに生かされてきたんだということを、改めて感じました。

このような「自分史ツアー」を、今後もときどきは企画してみたいと思う。
(BGMはビートルズ「In My Life」)
11/30
「役員室午後三時」
「役員室午後三時」(城山三郎)−リーダーに必要なもの

 トップに立つ者の最も重要な役割の一つは、「組織が進むべき方向を力強く指し示す」ことではないだろうか。日本最大の紡績会社、華王紡のワンマン社長・藤堂は、長い任期を通し、この点において比類なく優秀なリーダーであった。しかし加齢とともに、彼の下す判断は、トップとしての冷静なそれではなく、彼個人の感傷に流されたものとなっていく。
 その一例が、定年退職制の廃止。藤堂がこの英断(?)を下した直後は、彼の社内での人気は急上昇、対外的にも時の人となり、藤堂は束の間の勝利感に酔う。高齢・高給の従業員を長期に雇用することは、会社にとっては実質損でしかないのだが、彼はそれに気づかない。
 一方、藤堂の信頼を得、その腹心として勢力を拡大し、しまいには藤堂を失墜させて自ら社長の座に就く矢吹の行動は、一貫して沈着冷静である。藤堂が社長として何をやっても、どこか自己満足の感を漂わせてしまうのに対し、矢吹は、社の内外から衆知を集め、報・連・相をぬかりなく行い、客観的なデータを揃えた上で、あらゆる方針を打ち出す人である。形の上では主殺しだが、矢吹は己の欲得から社長の椅子を願い、計画を練ったのではない。彼としては、あくまでも成り行きなのである。
 リーダーとして、どうすれば組織を正しく、力強く導けるのか。一つだけ言えるのは、私心に影響されないことではないかと思う。「組織のためになる」選択が、「自分個人にとっては苦痛」な選択の場合もあるかもしれない。大組織のリーダーであるからには、常に「組織のためになる」選択肢を引き受ける、真の雅量が欲しい。本作品においては、矢吹の勝利。
11/27
「反省」と「後悔」
大学で読まされた本の中に、「我々は未来へ向かって、しかし未来に背を向けて後ろ向きに歩んでいる。我々が把握できるのは過去だけである」という一文があって、鮮烈といおうか目からウロコでした。

確かに、「自分の未来は、かなりの程度、過去に対する態度によって左右される」と言えるであろう。
また、過去というのは、どんな過去であれ、一種の財産だと思う。

そして、思うに、
「反省」とは、「過去の分析、および今後の傾向と対策の立案」
であり、
「後悔」とは、「過去についての無駄なシミュレーション」
ではないでしょうか。

過去において失敗した自分と、現在の自分では、時の経過とともに「違う自分」になっているので、「現在の自分」の立場から、「過去の自分」の行動について「ああするべきだった」「こうすればよかった」と考えてもしょうがないと思われます。
「過去の自分」としては、それでベストを尽くしたのです。

私もさんざん「後悔」をしてきたんですが、「後悔」によって自分(過去の自分)を否定しても、自分が弱るだけだということが分かった(笑)
ちなみに、「後悔」ではなく「反省」をするためには、日記(事実だけを書く・家計簿と同じ感覚)がすごく有効です。体重など、自分の健康状態を記しておくのも、後々役に立ちます。



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11/24
「女文士」
最近本をあまり読まないのですが、読んだ本のことすら、どんどん忘れていきそうな気がするので、備忘録がわりに感想を書いて、ブログに載せることにしました。

「女文士」(林真理子) −何のための人生か

 林真理子による、台湾出身の女流作家・眞杉静枝の伝記。生前は作家としてそこそこ知られていた彼女の、死にいたるまでの転落人生記。作品の中で、眞杉と対照的な存在として宇野千代が随所に登場するが、作家としても、一女性としても、眞杉は宇野に遠く及ばない。
 眞杉の人生の何が失敗だったのか。第一に、彼女の文学が、己の虚栄心を満たすための所産でしかなかった点である。この小説で描写されているかぎり、「作品の中で何かを表現したい」という、文学者としての燃えるような情熱や執念は全く感じられない。彼女にとって、手段は「文学」でなくてもよかったのだ。ただ、他人が、自分を認め、構ってくれさえすれば・・・。
 同じことが、眞杉の異性関係についても言える。美人と形容され、多くの男性と浮名を流した彼女だが、どの関係においても「なにか相手のためになることを」という姿勢は皆無である。自分のさびしさを埋めてくれる男が欲しい、子を為すことで妻の座を得たい、妻として安定した生活を保障されたい、それだけ。「相手のために、自分ができることはないか」という視点が完全に抜け落ちている。要するにこの人は、自分のことしか考えられないのだ。
 哀れだと思う。腹立たしいというより、気の毒になってくる。香典の中から借金を返してもらい、他人が金を払って建ててくれた墓に葬られる、のが彼女の最期。自分のことばかり考えて生きていたら、自分の人生すらままならなくなる。こうはなりたくないと思う。



ディズニーリゾートに行こう!
11/20
すごい店員
疲れ果てて帰宅したとき、ちょっとだけ休むつもりで横になったら、そのまま朝まで眠ってしまい、かけていたメガネが体の下敷きになって壊れる(レンズは割れなかったのが幸い)という大惨事に・・・。その日はコンタクトで出勤して、昼休みに、職場近くのマ○イのメガネコーナーに直行。

 そこの店員さんがすごかった。どうやら、彼の頭には、店にあるメガネの在庫が全てインプットされているらしい。私とちょっと話して観察しただけで、「お客様にはこれですよ」というメガネを勧めてくれたので、優柔不断な私にはありがたかった。
 安物ではないが高すぎない(私にとって)商品で、しかも複数選択の提示ではないので、迷う余地がありませんでした。「絶対にこれです!」(口調から、単純なセールストークではないことはよく分かった)というその人の言葉を信じて、退社後に購入。トータル1時間ほどでメガネができた。

 そして、何日かそのメガネを使用してみると、これは確かに「いいもの」(自分に似つかわしい品)なことが分かってきた。
 思うに、この店員さんは、メガネが大好きで、お客さんにぴったりのメガネを探してお勧めすることが喜びなんじゃないかなあ。不動産屋が、客にぴったりの物件を見つけたときの喜びに近いかも。自然と、どんな人にどんなメガネが似合うか、日ごろから研究してしまうのだろうな。もし「店員」になるなら、このレベルまで達したいものだと思ってしまった。

ちなみに、この店員さんによれば、日本人の瞳の色は、おおむね4色に分類されるとか。私の瞳の色は「少し灰色の入った黒」だそうです。メガネができるまでの待ち時間に、メガネに関する該博な知識をいろいろ披露してくれました。



かる〜く使おう♪
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